風に吹かれて〜Blowin' in the wind〜



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■ 2019.3.10【さよならジオシティーズ】

2003年からずっと使用していたジオシティーズがサービスを終了することになり、サーバのお引越しをすることになりました。 「無料のジオシティーズ」と言われていますが、いえいえ、私は使用料を支払っていましたって(笑)広告を無くすには使用料のが必要な プランに加入する必要があったのです。嫌でしょ?変な広告が入るの。

新しいサーバは時間がなくてあちこち試すことができなかったので、「ここが一番!」というわけではないけれど、とにかく3月31日に 今の場所はからっと無くなってしまうので、引っ越します。それとともにこの「Wind 風に吹かれて〜Blowin' in the wind〜」が大幅に リニューアルします。10月にジオシティーズがなくなるとわかっていて、なぜ今までグズグズしていたかというと、このリニューアルを したかったから。

このwindもお世話になったなぁ。2003年11月23日に「モラハラとは」のコンテンツを作り、それと一緒に「日記コーナーを作ろう!」と 思い立って作ったんだった。「モラハラとは」はだいぶいろいろな方が参考にして下さっているようで、本職のカウンセラーさんでも「コピペでしょ!」 と思われるようなものを貼り付けている方がいらっしゃる(笑)

「wind」の中で思い出深いのは2006年9月10日に書いた「未来予想図」です。これは「モラル・ハラスメントブログ」のまっち〜さんの提案で、当時 たくさんあったモラハラをテーマとしたブログの方たちがコラボしたときに書いたものです。思えばあれが第一期モラハラブームだった。

あの時にこの企画に参加されたモラハラブログを書いていた方々は、それぞれどんな人生を送っておられるのでしょう。ご連絡などを いただけると嬉しいです。あ、この記事はずっと見られますのでご心配なく。一緒に引越荷物に入れました。 ここで日記(と言えるのか(自爆))を書くのもこれっきりになりました。どうぞお近くにお寄りの際は新しい「風に吹かれて」にお寄りくださいませ。

最後に「未来予想図」をもう一度載せます。

ずっと心に描く 未来予想図は  ほら思った 通りに かなえられてく
作詞 作曲 吉田美和

モラといた日々は、今日の予想が立てられませんでした。
明日、この場所にいるかどうかもわかりませんでした。
今晩、「今日、この家から出る」と言われれば、私に拒否する権利はありませんでした。
「NOと言えない日々」を20年過ごしてきました。
未来をスケッチすることを、結婚したその日から取り上げられたのです。

最初の子どもを出産した日、事故が重なって死にそうになって産まれた子と一緒に分娩室を出たその時、 夫が耳元でささやきました。「もうひとり産むんだからね。そうしたら許してやる」

精も根も尽き果てて、手をあげることもできない私にむかって、そう言いました。
そう、男性にはわからないでしょう。 どんなに妊娠から出産までが過酷なことか。体内に別の生命を宿した女性が、 食べるものや生活のあらゆることを制限され、この世の終わりのような痛みに耐えて新しい命をこの世に送り出すか。 気が遠くなるほどの経験を、ほんの数十分前に終えたばかりの妻に、「さあ、もう一度同じことをするんだぞ」と、 NOと言えない相手に言い渡したのです。
想像してください。戦争からやっと這うようにして帰ってきて、玄関で迎える妻からニコニコしながら「あなたは もう一回行かなきゃいけないのよ」と言われたらどういう気持ちがするか。愕然としないでしょうか。

ハラッサーは人の痛みがまったくわからない人種です。自分のことしか考えない。自分の感情のゴミ捨て場にする ためにゴミ箱を見つけ、そばに置き、ポイポイと捨てていく。自分がゴミ箱だったことを「モラル・ハラスメント」と いう言葉で知りました。 私には未来をデザインする権利がありませんでした。服を買うときも、「私が着たいもの」ではなく、夫が怒らないものを 選んで身につけました。ほんの小さな自由を与えられると、「いい人だ」と心底思って感謝しました。

あの日々はいったい何だったんだろう。夫と離れたその日、子どもと焼き芋を買いました。色、形、大きさ。どれを買っても いいのだと気がついたその瞬間、めくるめくような大きな開放感がありました。未来への不安よりも、その開放感は何倍も大きかったことを 覚えています。モラ夫と暮らしていて一番大きな不安は、10年後、自分が何をしているかわからないということでした。 私の未来を決めるのは夫でした。今は私。私の未来予想図は、私が描く。それがどんなに貴重であるかということは、 無くした経験のある人でなければわからないのだろうと思います。

「ほら、思った通りにかなえられてく」

モラといた日々は「思う」ことさえ許されなかった日々

「ほら、思った通りにかなえられてく」

モラのいない日々は、自分が創る未来予想図

「ほら、思った通りにかなえられてく」


このコラムは「モラル・ハラスメントブログ」の管理人さんが企画された、モラブロ共同企画への参加です。

■ 2019.2.6【千葉県野田市児童虐待事件について】

父親から暴力を受けて1月24日亡くなった栗原心愛さんの母親なぎさ容疑者がDVを受けていた件について、 スポーツニッポンからコメントを求められましたのでお話しました。

加害者である父親は教科書になりそうなほど典型的なDV加害者。妻だけではなく、子どもにも身体的暴力を 日頃からふるっていました。詳細な情報を持っていたわけではないので知っている限りではということでお話しました。 その中で「DVを受けている母親は恐怖で正常な思考ができない状態になっているので、時には子どもが父親の暴力を 受けていても見て見ぬふりをすることもあるし、中には自分が暴力を受けないよう子どもを夫に差し出す母親もいる」と お話しました。「差し出す母」は私の母がそうだったので、容易に想像できました。

コメントはDVと児童虐待の両方の被害者としての感想です。記事が出た日の夕方に「暴力が子どもに行けば自分は暴力を受けないだろうと思った」と いう供述が出てきました。こぞって世の中の人たちは「なんてひどい母親だ」と責立て始めました。 「母親なら身を挺してでも子どもを守るだろう」というのが一般常識ですが、元々この家は異常な家ですから、一般常識は通じません。

もちろんDV被害に晒されていたからといって、子どもを見殺しにしていいとは言いません。でも、虐待を知っていていながら放置したのが罪というならば、恫喝に怯えて子どもを家に戻した児相も、守秘義務であるアンケートを渡した教育委員会も同罪ではないでしょうか。 どちらも加害者からの巧妙な訴訟をちらつかせる恫喝に屈して、子どもの命を差し出したではないですか。

教育委員会や児相が怯えてしまうほどの恫喝する加害者ですから、母親が飲み込まれてしまうのは当たり前です。教育について最高の教育を受けている(はずの)教育委員会は自分のテリトリー内に加害者がやってきて、そばにたくさんの職員がいる(仲間がいる) のに「精神的に追い詰められて出してしまった」と言っています。どれだけの凄みがあったか、それを狭いアパートで10歳と1歳の子どもがいて、孤立無援の中で、夫を諌める ことがどうやってできるのか。

暴力が1度2度ならば「やめなさいよ」と言うかもしれませんが、もう10年以上暴力に晒され、暴力が日常的になっている家庭に一般常識は通じません。 どうして逃げなかったんだも、同様の事件があれば必ず言われることです。

今回の加害者は目に見える暴力の他に、巧妙に人を怯えさせる話術を持っていました。このサイトに長く来られていて、DV加害者との離婚がどれくらい大変かご存知と思います。調停委員を丸め込み、あたかも妻が加害者であるかのような印象を持たせ、いい父親を演じるのがこの手の加害者の典型です。よしんばうまく離婚できたとしても、現在、あの「面会交流」で延々と恫喝が続きます。 現在行われているDV被害者への強制的な面会交流でどのような恫喝が行われているか、見て見ぬふりをしている司法に関わる人たちが、なんと多いことか。 大人たちがなんとか時が過ぎればいい、今だけやり過ごせばいいと思っている限り、同様の事件は続くでしょう。

■ 2019.1.31【モラハラ電話相談】

今日は東京にやってきてちょうど10年めの記念日でした。家の窓から10年前とほぼ同じ景色を見ています。

時々ゲリラ的に行うモラハラ相談、1月期は終了いたしました。次回は5月頃に行おうかと思っています。 面談はしないので、電話でのお話だけになりますが、やはり掲示板を読むのと違って、みなさんの苦悩が本当に様々であることがわかります。 「え、そんなケースもあるんだ」と、ビックリのこともありました。

特殊なケースだから掲示板には書けなかったという方も多くいました。個別相談で良いところは、その個々に合わせた情報提供が できることです。相談中にググって役に立ちそうなところをご紹介するとか、私の持っているデータをその場で差し上げる こともありました。

また、ネットでは書けない事情や裏情報を差し上げることもあります。ネットは加害者も読めてしまうので書けないことも多いですし、DV界の常識的な結構興味深いお話もします。幸いこのサイトを始めてから16年が経ち、小さな子どもがどう成長していったかも見聞きしていますので、子どもたちが今後どうなっていくかというお話をすることもあります。 ゲリラでなく、毎日行えばよいのでしょうが、私もまだ現役で働いていますので、無理のない程度に行わせてください。リタイアした暁には、これを生業とする日が来るかもしれません。それとも青春18切符を使って全国行脚しようかなとか、老後プランとしては面白いかもしれない。

■ 2018.12.31【10年ひと昔】

10年ひと昔と言いますが、ちょうど10年前の大晦日は退職届も出し終わり、引っ越し準備も大詰めで、かなり忙しい年の瀬でした。 長く働いた職場だったので、退職届を出すときは寂しくなったりするのかなぁと思ったのですが、もう辞めたくてしかたがなかった ところだったせいもあり、それほどしんみりしたものではありませんでした。辞めた後も心細くなるかとおもいきや、清々さっぱりとして、気分はウキウキでしたね。 あ〜、辞めてよかった!!

あとはお世話になった方たちひとりひとりにご挨拶をするという、ケジメだけはしっかりといたしました。仕事を辞めて東京へ転居しようと 思いついてからほぼ1年の準備期間がありましたので、「平成最後の○○」みたいにいつも「これが最後の○○」と思いながら過ごしていました。

年4回の子どもの授業料の払込みはいつも綱渡りで、その金額も時期もしっかりと覚えています。いや〜、よくやった<自分
過ぎてしまえば貧困も節約もいい思い出になるものですね。2009年の大晦日はアルバイトのお菓子工場で働いていました。 普段は別のアルバイトの仕事をしていたのですが、年末年始は仕事がないので収入にならない。そこで別の派遣の仕事を入れて働いていたのですが、 お昼休みに携帯に「明日もお願いできないか」という電話が派遣会社から入りました。さすがにお正月は休みたいとお断りしたのですが、「私がやりたい!」 と一緒に働いていた方々が次々と手を挙げられました。

お正月でも休まない方がいるんですねぇ。お正月だから休もうと思うこと自体甘いのかもしれない。まだまだ修行が足りないわ、私。

とはいえ、年齢も順当に10歳多くなり、疲れやすくなりました。もう、以前のような馬力はきかなくなりましたが、幸い子どもも独立したのであとは私ひとりだけの生活、なんとかなりそうです。

お正月はお盆、ゴールデンウィークと並んでモラハラ家庭がもっとも緊張する時期です。大晦日はやり過ごせても、危ないのが元日。モラ夫のイライラ感が貯まるのですよ。 早く時間が過ぎてくれないかと思っている方も多いでしょう。10年ひと昔。振り返って「ああ、そんなこともあったっけ」と思えるような時が来るといいですね。

さて↓に書いた「スポーツはハラスメント?」ですが、ご意見をいただきありがとうございました。もちろんスポーツをする方の多くは 日々己と向き合い、戦っていることと思います。

この記事を書くきっかけになったのは、以前私にすさまじいパワハラをしてきた上司が昔オリンピックを目指していたほど方で、現在何代目かの餌食になった方は心を病んで休職中です。 職場で「いったい何人目だろうね、彼女の犠牲になった人」という話になった時に、「そういえば相手のあるスポーツをしている人ってこの傾向あるよね」と いう話になり。「試合の作戦を考えていると、普段の生活もそうなっちゃうのかもね。そういえばあの人もこの人も」と話が広がり。そんな中でふと思いついた話題でした。

知人にオリンピックのメダリストがいますが、この人も???な方で。
普通に競技をしている人たちは、みんないい人なんですけどね。

■ 2018.12.17【スポーツはハラスメント?】

今話題になっている「ボヘミアン・ラプソディー」はご覧になりましたか?ワタクシ、平日の午前中に行ったのですが、 結構な数のお客さんでした。私は「うるさい系バンド」はあまり好きではなく、クィーンとは同世代に生きていたけど「ふぅ〜ん、クィ〜ンねぇ」 って感じでした。でもYouTubeなどで今聞くと、ただの「うるさい系バンド」とは一線を画しているというか、う〜ん、昔ちゃんときいておけばよかったなと 思いました。もう1回見に行こうかなと思っています。

さて、タイトルですが、今年はスポーツ界の不祥事が相次いだ年でした。でも今回はそのことではありません。 先日ふと「ある種のスポーツって、ハラスメントだよね」と思いつきまして。ある種とは相手がいるスポーツです。 卓球とかバトミントンとかサッカーとか格闘技系とか、相手と競うスポーツです。 その種のスポーツはみんな相手の嫌がること、相手の弱点を徹底的に攻めて勝利するものです。

事前に対戦する相手がわかっている場合は、相手を研究してどこをどう攻めるかを研究します。相手が打てない場所にボールを投げ、 相手がとれない遠くへシャトルを飛ばし、あちこちに球を散らして体力を消耗させて、一気にたたいて追い込むと(モラ夫みたいだ)。 まぁ、スポーツですから当然なのですが、これって競技の時だけなのかしら。

「もっと苦しめぇ〜〜!ざまーみろー、うひひ」ではなく「こんなに私に走らされて辛いだろうに、でも勝つためだからごめんなさいねぇ」と相手の顔めがけて猛烈アタックをしながら心で泣いているのかしら。 まさかねヾ(--;)「ここまで私を痛めつけた相手を称える」という話も出てくる時もあるけど、そう美しいものでもないと思うの、私は。

スポーツ界で続けざまに起こった不祥事も、これと何だかどこかで繋がっているような気がするんですよね。

体操とかフィギュアスケートとか採点系は、これはこれでまた(怪しい採点とか)問題がありますが、純粋に自分との戦いというようなスポーツって、 「かけっこ」とか走り幅とびとか水泳のようなものだけかもしれないなぁ〜と思っています。

■ 2018.11.20【先を読む】

私が東京に転居してから来年で10年になります。10年前の今頃は、転居の準備で大わらわでした。何しろ扶養家族を連れての転居のため、扶養家族を養わなければならないので、東京で仕事探しもしなくてはならない。ま、大変でしたがなんとかなりました。超緊縮財政で、電車に乗る時も50円を惜しんで何駅も歩いた日々。 大変だった出来事も後から振り返ると懐かしい。大変だったことって、時間が経つと懐かしく、微笑ましく思えるものです。それは多分、今が充実しているからでしょう。

さて、世の中は「自動運転の車」だの「AI」の話題がよく出るようになりました。10年前を振り返ると、スマホを持っている人はほとんどおらず、みんなガラケーでした。私はラップトップを持っていなかったので、海外へ行くときにはホテルで備え付けのPCがあるかをまずチェックしていました。でも、海外でPCを使う時は大抵日本語がインストールされていないので、日本語はみんな□□□□と文字化けしていました。今ではスマホもタブレットもありますので、事前にアマゾンで海外用SIMカード買い、飛行機の中でSIMカードを交換してしまえば日本と同じように使えます。ホント、10年前にはまったく考えられないことです。

私は被害者の方に「10年後はどうなっているかを考えましょう」と言います。10年後、夫が何かの拍子に突然いい人になる可能性はまったくないわけではないけれど、相当低いと考えるべきです。さらに夫からの攻撃はエスカレートする確率の方が高い。なぜなら、人間、耐性がつきますから、いつもと同じモラハラならば最初の頃よりはダメージが少なくなり、加害者はそれでは面白くない。ゆえにエスカレートすることになっているのです。

「避難は小学生の子どもが転校を嫌がるので高校生になったら」と考えていた方は、その頃には膨大な教育費が必要になっているはずですから、「大学生になってから」と変更せざるをえません。子どもが大学を卒業したら、「年齢が高くて仕事がない」ことになっています。

前もって読める事態は読んでおきましょう。教育費と生活費は中学までならいくら、高校までならいくら、大学までならいくら、行政からもらえる手当は月額いくらと出していけば、自分でどれくらいの収入があればやっていけるかが自動的に導き出されます。もちろん婚姻費用、養育費も計算しておきましょう。ただし、夫が公務員や大企業などに勤務していれば養育費の取り立てはできますが(強制執行可能)、そうでない場合もでてきます。「夫が仕事を辞めた」も聞きます。辞めたとたんに養育費はストップしますし、夫が再婚した場合も減額請求があります(モラ夫だから当然)。

では避難せずに今の場所にいた場合、夫とあなたはどれくらいの年金がもらえるのか。これも調べておきましょう。たぶん、びっくりするくらい少ないはずです。そしてそれから国保、税金が引かれます。あなたが専業主婦やいわゆる「扶養の範囲で」働いている方ならば月額6万5千円が年金額です。そして夫は一日中家にいる。年金が少ないので始終お金のことで嫌がらせがあるでしょう。

10年先には世の中がどうなっているかを読んでいくことが必要と思います。

■ 2018.10.20【帰る!!!!!】

先日所用があって東京スカイツリーの方向に行ったので、ついでにスカイツリーを見物してきました。スカイツリーは2度目ですが、どちらも展望台には登っていません。なんで高いところに登るのに大金をかけるのかと思う信条なので、東京スカイツリーに限らず、台北101とかエッフェル塔とかエンパイアステートビルにも登ったことがない。私の東京のオススメ絶景スポットは、新宿にある小田急ホテルセンチュリーサザンタワー20階のトイレから見る夜景です。ここはタダです。東京に来た頃、新宿に行くとよく寄り道して「これが東京だ!」と東京気分を楽しんだものです。

さて、東京スカイツリーは外階段からも中に入るようになっているので、そちらから中に入ろうとしたとき、叫び声が聞こえました。背の高いとってもイケメンのパパと同じくモデルさんのようにすらっとしたきれいなママと、5歳くらいの息子の家族が何やらもめています。パパが「帰る!!!」と叫ぶとずんずんと大股で歩き始めました。ママは「待ってよ!なんでそういうことするのよ!!」と同じく叫びながら追いかけていきます。その後から子どもが今日買ってもらったのでしょう。おもちゃの袋を抱えながらオロオロと走ってついていきました。モラハラ家庭ならばお馴染みの光景です。我が家も何度この「帰る!!!」コールをきいたことか。

この話を友人たちにしていたら「あ〜、それよく見るよね」「あるある」ということになって盛り上がりました。そして「帰る!!!」というのは100%男性で、女性が「帰る!!!」と言ってあわてて夫がついていく場面というのを誰も見たことがないということになりました。

「なんでだろうね」「なんでだろうね?」
多分女性はこの家族団らんの雰囲気を壊したくないので、多少嫌なことがあってもぐっとこらえてしまうのでしょう。私もそうでしたから。では男性は壊してもいいと思っているのでしょうか。

こういうことをする男性は、どうせ後からいくらでも言い訳はたつし、それが理不尽な言い訳であってもあっても、どうせ相手は許してくれるので(許してくれない相手にはしませんから)、ストレートに自分の感情を優先させます。

でも、世の中にはモラハラをする女性もいます。彼女たちはどうするのか。おそらく「不機嫌になる」だけですね。そして一生懸命家族はご機嫌をとろうとするということになるでしょう。しかしこの隊列から離れてひとりでどこかへ行ってしまうという行動には出ない。これ、動物学的見地からでも、どなたか説明してくれるとありがたいです。

そしてもうひとつ重要なのは、家族ではない、交際している男女の場合はこの「帰る!!!」といって相手から離れる行動を女性もするということ。家族が無ければ女性も帰るコールするということは、家族(という体系を)守ろうとすると、なんとかこの事態を我慢することでやり過ごす習性が身についてしまうということになります。

東京スカイツリーの家族は家に戻ってからどうしたのでしょうか。 夫は「子どもが言うことをきかないから」「お前の態度がありえなかったから」などと言い訳をした時、妻は「でもああいう行動は良くない」と言えるのか(言えたら次の帰るコールはない)、それとも「次は気をつけるから」と謝るのか。

そして子どもは買ってもらったおもちゃとこの夜の出来事がセットになって、ずっと心に残るのだろうなと思います。

■ 2018.9.30【電話相談とカウンセリング】

ただいまモラハラ電話相談の受付をしています。このゲリラ相談を始めて半年以上になりますが、この相談をきっかけに、新しいステップを踏み出した方がおふたりいます。ご報告を受けたのがこのおふたりだけですので、他にもいらっしゃるかもしれませんね。 私が行っているのは「相談」であり、カウンセリングではありません。カウンセラーの方から「電話でするカウンセリングなんかあり得ない。それは相談だ」と言われましたので、「電話相談」としています。実際お話を伺って、アセスメントを行い、どうアプローチしていくかを考えるにあたって、面談なしはかなりきついものがあります。

「人は見た目が9割」です。その方の表情、化粧、しぐさ、服装、アクセサリー、声の出し方、持ち物などなどの情報が、その方を知る上で大きな判断材料になるのに、その材料がないまま、電話の声だけという1割で相手がどのような人か判断しなければなりません。 どのような方かをわからなければ、提供する材料を選べません。

それを補うため、私の電話相談では事前に情報をいただいてからご相談を受けることにしています。情報をいただくことで、ある程度の見極めがつけられます。

また、私の場合、その方に最も必要と思われる情報を差し上げることがメインなので、カウンセリングというよりもソーシャルワークに近いと思います。ただ、お話もしっかり伺いますし、「あるある」とモラハラ話に花を咲かせて盛り上がることもあります。相談を終わられた方がみなさん「また相談にのってもらっていいですか?」とおっしゃってくださるのがとても嬉しいです。

カウンセリングは傾聴がまず基本です。9割カウンセラーがしゃべるカウンセリングなどはあり得ません。また、ああせいこうせいと指示するカウンセリングもあり得ません。どの方向に進むかは本人が決めることです。カウンセラーはあくまでも寄り添い役のはずです。だから私の場合は「相談」。おしゃれに言っちゃうと「コンサルタント」ですね。ただ、どうも私は「コンサルタント」というと「自称経営コンサルタント」という方たちを思い起こすのですが、だいたい「自称経営コンサルタント」の人は本業を言えないか、実際何をしているのかわからない人が多かったので(私の知っている限りは、ですよ)、 あまりコンサルタントという名称にいい印象を持っていないのです。

しっかりしたDV支援グループの場合、DV相談をしていても「カウンセラー」という言葉は使っていません。あくまでも相談員です。どうも「カウンセラー」を使っている方たちは「カウンセラー」と言うとかっこよく見えるので、使っているのでは?という場合もあるように思えます。もう一度言っちゃうけど、カウンセラーがべらべらしゃべるカウンセリングなんか、ないですからね。それはカウンセリングではなくて、「講演」です。

■ 2018.9.9【エアコンなしの夏】

9月になり、お天気お姉さんの「みなさま、そろそろ秋が見えてきました!」というお言葉に、「ああ、やっと」と膝から崩れ落ちそうになっている今日この頃です。 暑さもすごかったですが、ニュースが毎日目まぐるしく変わり、ボクシング界の忖度大名はどこでどうしているやら?日大理事長は「みんな忘れてくれた、シメシメ」と思っているのかなぁ。

話を暑さに戻すと、あの暑い盛り、私の職場のエアコンが一部故障し、半分の動力でエアコンを動かしている時期がありました。当然暑い。室内32度でした。一番先に音を上げたのは一番若い女性でございました。3分おきに「今、何度ですかぁ」と温度計を見に行っていましたね。完全にイッちゃってました。

一番高齢の私も暑くないわけではないのですが、わめいたところでどうしようもないのと、ずっと暑いところで過ごしていたので、割と耐性がついているのでしょう。そこまでイッちゃいはしませんでした。なぜなら結婚していた時、元夫は「体に悪い」とエアコンは買ってもらえず、車のエアコンもつけさせてもらえなかったのです。

何より困ったのは、太陽光線が手の甲に当たるので熱くてハンドルが持てなかったことです。説得して、冷風を手だけにあてることを許されたのですが、助手席の本人は汗ダラダラで前を睨みつけているのです(元夫は運転免許を持っていなかったので、私が運転手)。

言ってしまった手前、武士は食わねど高楊枝というよりも、実際体に悪いと信じていたようです。病気の時の服薬も最低限。風邪で熱を出したら体温を上げることで熱を下げればよいのだと、夏でも3枚重ねのふとんをかけて(エアコン無し!)汗を流すのに精を出していました。

今年の夏はどう過ごしたのやら。熱中症で死んじゃっても別にいいや。

■ 2018.8.12【東京医大の差別について】

東京医大で女子学生が不当に点数を下げられて,調整されていたというニュースが今出ていますが,私にとっては「何をいまさら」です。 私が高校受験をした時,公立高校にごく普通に「女子のボーダーライン」「男子のボーダーライン」というものがありました。あなたが男子だったら楽々合格だけど, 女子だから不合格ねというものです。指導する先生も普通に言うし,それが普通だと思っていました。なぜ男子と女子で合格点が違うのかと聞いてみたら,先生は 「男子は高校に入って伸びるから」と言いました。それを「ああ、そうなんだ」とすんなり納得した自分。私だけでなく、他のみんなも 男子と女子に差別があることに何の疑問も持っていませんでした。この時から「男子は女子よりも偉い」という刷り込みをされていたと思います。

男子はいざという時すごいんだ、高校に入ると底力を出してぐーんと伸びるんだ。リーダーは男子の方が頼りがいがあると、ずっとおもっていました。

しかし、高校側の言い分は実は他にありました。これ、後々大人になってから高校の先生に直接聞いたので、間違いありません。 女子は進学しない、せいぜい短大か専門学校。男子は進学率が高いので教育委員会における先生方の評価が高くなる。この「せいぜい短大か専門学校」

というのは昔の話でもなく、普通程度の学校に通っていた私の子どもの学校がそうでした。試験で常に成績がトップクラスの女子でも、「短大か専門学校」でした。 地方には大学が少なく、7教科そろえなければならない国立がアウトだと、1校しかない私立大学か短大しかありません。他県に進学するには学費の他に仕送りが かかりますので、家計は大変。地方の収入はとても低いので、きょうだいがいればまず無理。ただ、そのきょうだいが兄や弟の場合は親もがんばって仕送りを しますが、女子の場合は「どうせ嫁にいくだけだから」と学費にお金をつかいません。いまだにそうです。だから進学率が低くなり、「女子の合格点が高くなる」と いうことになります。

この他に「女子は母校に貢献しない」というのもありました。男子は就職して地位があがり、人脈を広げ、それを利用して高校のOBとしていろいろ仕事をしてくれる が女子はそれがない。嫁に行って子どもを産んで、それで終了。それより将来母校のために活躍してくれる男子をとりたい。よって女子は入れたくないということでした。 確かに友人が母校の何十周年記念とかで卒業生から寄付金を集めようとしたら、男性はすんなりお金を出すのに、女性は絶対に出さないと言っていました。「男性は つきあいに慣れてるけど、女性はそれがあまりないからでしょう」と、肩を落とした友人が言っていました。

とはいえ、それで入学試験のボーダーが違うのだと言われると、どうにも納得できない部分があります。私は学校を卒業してから税金を払い続けてきましたが、「女性だから 割引」というサービスを受けたことがありません。税金は同じ、でも受け取るのは男子優先。何だか変だ。

そして今となっては「女性が子どもを産まないから人口が減る」と言われ、「男性は従来とちがって終身雇用制が崩壊しているから不安定だ。片輪では危険なので将来子ども を産んでも働き続けろ」と言われ、保育所がないと言えば「産む時期が悪い。みんな計画出産して保育園に入れるようにしているんだ」と言われる。

まずは公平であるべき、それができないのならできない部分を底上げすべきだと思うのですが。

■ 2018.7.17【こんにゃく的生き方】

私の周りにうつの人が何人かいます。一番身近なところでは母親です。母のうつはひとり暮らしの不安から来るうつですので、 誰かが一緒に住み、その人が彼女の思うような気働きをし、彼女を常に尊敬して、賛辞を繰り返せばおそらく治るでしょう。でも、そんな人、いないので、彼女のうつは治りません。 母は非常に几帳面で世の中で常識と言われる生き方以外のことを毛嫌いしています。自分で決めたルールを守らない人にはとても厳しく、彼女の発する言葉は、何もそこまで言わなくてもと思うくらい、針のように相手の胸グサグサと刺します。 それを彼女に注意すると「教えてやってるんだ。ありがたく思え(怒)」と油に火を注ぐことになりますので、スルーする習性がつきました。

几帳面が良い事、きれい好きが良い事、世の中の常識と言われる生き方が良い事とがっつり思い込んでいる人は、それが崩れるとうつになりやすい。 「こうであるべき」「こうでなければ許せない」「これが普通。普通でないのは異常」という生き方は、とても精神を危うくします。細いピーンと立った固くて細い棒は、ちょっとした衝撃でぽっきりと折れます。でも、こんにゃくでできていたら、衝撃にのらりくらりしてやりすごし、まず折れることはありません。

こんにゃくになりましょうよ。こんにゃくはいいですよ。「小さなミスも自分は許せないんです」っていうのは美徳じゃなく弱点。アクシデントなんて人生のどこでも転がっている。それをみんな完璧にクリアなんて、できっこないんだから、あ、ムリムリ。最初から無理、 と思っている私は多分うつにはならないと思います。

モラハラ夫は異次元のレベルでこんにゃく的生き方はできない人。相手のこんにゃく的生き方を許せない人。相手に細く長いガラス棒になることを求める人。だから一緒にいるのが辛いのです。

■ 2018.6.16【嫌われる勇気】

いじめられた→モラハラ、嫌なことを言われた→モラハラ、怒鳴られた→モラハラと言う人がいますが、何度もここで書いているとおり、その行動をモラハラと言うのではありません。モラハラとは相手を支配するためのツールであり、ツールそのものをモラハラとは言いません。 モラハラではないのに、相手が明らかに攻撃として困らせたり、嫌な気分になったり、悲しませたりするのはどういう時かと聞かれたら、あなたを嫌っている時です。これはとても分かりやすいと思いませんか?

あなたを嫌いだから攻撃するのです。モラハラは相手を支配するためのものですから、ターゲットに逃げられると攻撃目標が無くなってしまうので、あわてて追いかけてきて、時には土下座をして謝って、何とか家に戻そうとしますが、嫌っている場合は去られると「嫌な奴が居なくなった、やった!」と大喜びします。これがモラハラなのか嫌われたのかを見分ける簡単な方法です。 仕事場で対象者を辞めさせたくてする嫌がらせはパワハラですが、ここで二つに分かれます。人員削減や能力不足などの理由で辞めさせたい場合と、ハラッサー気質を持った人が行う場合です。

後者が家庭の場合は(再婚など面倒くさい&お金がかかるプロセスをふまないと)予備がいませんから、だから「帰ってきて」になりますが、職場の場合、いくらでもスペアがいますので、追ってはきません。

「相手は離婚して大喜びしている。私は嫌われたのか」とショックを受ける必要はありません。 人は「好き」と「嫌い」と「どうでもいい」に分かれます。3パターンしかないので、どれかにあてはまるのは当たり前だし、それがたまたま「嫌い」になっただけです。 さして重要でない相手から嫌われたところで大した問題ではありません。あなたが私を嫌っているのは勝手なので、私もあなたを嫌うことにします。これ、どちらも自由だから。オアイコなので何の変化もありません。人を嫌うことは悪い事ではありません。性に合わない人は誰だっています。

問題なのは嫌われている相手に好かれようとすりよっていく場合です。相手の言いなりになり、自分を下に置いてヘラヘラ媚びへつらい、「私は誰にでも優しい」と思い違いをするのが日本人的には正しいことになっています。 それを「間違っている!」と言うことは簡単ですが、自分を通すと生きづらくなります。都会ではOKでも、地方ではとても難しい。私はそれを知っていますから、自分本位の生き方を!とはなかなか言いづらいのです。

■ 2018.5.14【PHPの信念】

以前よりトップページ等で広報していましたとおり、PHPスペシャルに執筆させていただきました。PHPには2種類あって、 昔からのPHPは「月刊PHP」。その姉妹版が今回書かせていただいた「PHPスペシャル」です。

「PHPとは、“Peace and Happiness through Prosperity”という英語の頭文字をとったもので、“繁栄によって平和と幸福を”という意味のことばです。これは、物心ともに豊かな真の繁栄を実現していくことによって、人々の上に真の平和と幸福をもたらそうという願いを表したものです。」 https://konosuke-matsushita.com/outline/message.php(松下幸之助.com)

PHP研究所はパナソニックの創業者、松下幸之助さんが作った出版社です。「物心ともに」というところが戦後を生きた方らしいですね。「心清ければ」と美しいことを言っても、今日食べるご飯がない生活では 豊かな心は育たないと、ご自分がその時代を生きて来られたからこそ見つけられた課題なのだろうと思います。

PHPは私が10代から20代によく読んでいた本です。PHPのバックナンバーの目次を見ると、ずっと取り上げられるテーマはほとんど変わっていません。PHPスペシャルは おそらく女性悩みに特化しようと作られたのではないかと思います。この本で取り上げられる内容は大体が人間関係と自己啓発です(後はおかたづけとか)。読者が上手に生きるヒントを与えられるよう、このふたつを色々な角度から 分析し繰り返し掲載しているのではないでしょうか。自己啓発の大きな部分は「ひとりで生きる楽しさを見つけよう」です。これはPHPに限らず、私もこのWINDに何度も書いてきましたし、自己啓発セミナーなどでもよく取り上げられるものです。 家の中で誰かに気を使って暮らすより、「ひとりで生きることは楽しいこと」「自分で選ぶことができる自由は爽快」など、多方面の 方たちが「ひとりで生きること」について何度も何度も繰り返し掲載しています。高額な自己啓発セミナーを受講するより、PHPのバックナンバーを読んだ方が 目が醒めるのではないかしらん。

そしてもうひとつのテーマの「人間関係」。私が一生懸命PHPを読んでいたのは、誰からも好かれる人になるにはどうしたらよいのか という答えが欲しかったからだと思います。人生の2/3を生き切ったからわかるのは、「誰からも好かれるなんてアホくさ」ということです。女はね、50を過ぎたらみんなアメちゃん持ってる大阪のオバちゃんになるのよ(笑)。

「みんなから好かれなくても、せめて家族から好かれたい」と思っていらっしゃる方おられましたら、ぜひこのPHPスペシャル6月号を手にとってお読み下さい。 このPHPスペシャルのバックナンバーを持って、17歳の私に手渡してあげたい。だがしかし、母から「誰からも好かれる女の子であれ」と脳に擦り込まれた 乙女の私では、理解は難しいかもしれない。やっぱり経験を積まないとわからないことってあるもの。

■ 2018.4.22【犬が怖い理由】

以前は「私は動物が嫌い」と言っていましたが、この頃は言い方を変えました。どうも「動物が好きな人=心優しいいい人」 「動物が嫌いな人=冷たい人」という図式があるようで、それは違うだろとイチイチ言い訳をするのもナンなので、この頃は 「動物が苦手」と言っています。なるほど、この方がマイルドです。

「それはできません」よりも「それは少し厳しい」とか「難しい」 と言った方が相手はイラッとしないでしょう。でも「厳しい」「難しい」という断り文句はほぼ100%ダメという意味にとらえた 方がよいのですが、その駆け引きがわからない人は「少しは脈がある」ととってしまうことがあって、結局は「できません」と 言わなければならなくなり、「できないなら最初からそう言ってほしい」と険悪になってしまうことも時々あります。日本語って難しい。

私が犬が苦手になったきっかけは、まだ小学校に入る前。友人二人と家の近くで遊んでいたところ、そこに犬が来たのか、たまたまそこにいた犬に私たちが近づいて行ったのかは忘れたのですが、犬が突然吠えだし、飛びかかって きたのです。私たち3人は一目散に走り、近くの家に逃げ込もうとしたのですが、足の早いふたりはさっと玄関の引き戸を開けて、 後から来た私の目の前でピシャリと戸を閉めてしまったのです。

「開けて!開けて!!」と引き戸を開けようとしても、二人は私が開けられないよう力いっぱい戸を押さえています。 戸の向こうでキャッキャと笑いながら戸を押さえているふたりと、歯をむき出して飛びかかってくる犬。

その後の記憶はありません。犬に散々噛まれていた私は大人たちに救出されました。その時に犬に噛まれた痕も痛みの記憶も、まったく残っていません。 でも、戸の向こうで私が戸を開けられないようしっかりと押さえていたふたりの名前と、キャッキャという笑い声は、今も忘れることはできません。 ふたりは大人たちに「なぜそんなひどいことをするんだ」と叱られていましたが、「でも、だって」と私が悪いからというような ことを言っていました。

殴られた痕は消えても、発せられた言葉がいつまでも記憶に残るのは、言葉が脳をしばるからだそうです。「いつまでも覚えているなんて執念深い」と 忘れられない被害者の方が悪いとよく言われます。「小学生の時に母から言われた一言が忘れられない」「同級生からいじめられていた ことが忘れられない」「先生から言われたことが忘れられない」という人は多いです。人として大切にされなかった、自尊心をふみにじられた という記憶は一生忘れられないのです。

戸を押さえていたふたりはその後、この出来事は忘れてしまったでしょう。人間、されたことは覚えていますが、 したことは忘れるものですから。

■ 2018.4.9【ペットにまつわるエトセトラ】

モラハラ家庭からの非難にはいくつかの越えなければならない山がありますが、そのひとつがペットです。「子どもはいないが ペットがいる。置いていけば殺されるかもしれない。連れていきたいが転居先は動物不可のところが多いので、行先がない」と いうものです。あるいは多頭飼いのため住居がまずないという場合もあります。

自治体などを通してDVシェルターを利用する場合、例外を除いてまず動物は不可です。母子寮のような所は他の方が いますし、一般のアパートの場合もアパートそのものが動物を室内で飼うことを認めていませんので難しい。ただ、シェルターの 中には「ペットも一緒に居られるようなシェルターを作りたい」という団体もいますので、もしかしたら将来的にペットと 一緒に避難できる場所ができるかもしれません。

もしペットと一緒に避難したいならば、転居先を自分で見つける方式にして、行政サポートには事情を説明し、すり合わせる 必要があります。避難したことのある方ならばご存知でしょうが、DV避難はいろいろ手続きがあり、それを知らずにやってしまうと、 後からややっこしいことになりますので、夫からの追求や子どもの転校がある場合はもよりの女性相談センターに相談しておいた方が 安全です。ただ、ペットについてはおそらく「置いてきて下さい」と言われるでしょう。

実は私は動物が苦手です。鳥は突くから怖い、犬は噛みつかれるから怖い、です。かろうじて猫は昔独身だった頃弟が飼っていて、 それで慣れたのでなんとか大丈夫です。犬を散歩させている人とすれ違う場合は大きく距離を取ります。「うちの犬は大人しいから 大丈夫ですよ」と言われても、怖いものは怖い。これについては私のトラウマ部分ですのでエトセトラで書いていきます。

ここのところ寝る前に必ず見て、そのたびに胸がキューンとなる「おじさまと猫」

■ 2018.3.18【オリンピックが終わって その3】

オリンピックについて書いていたら、今日パラリンピックが終わってしまいました。いつもの遅筆のせいです。スミマセン。。
さて、ザギトワ選手が年齢らしからぬクールな表情で「私は感情をあまり出さない性格なの」と インタビューに答えていましたが、15歳の「感情を表に出さない性格」の意味ってなんだろう?部屋に帰ってから「わ〜〜〜い!!」と喜びを爆発させるのか、 それとも「頂点に立ったらそれを持続させなければいけない。それって結構大変」という、自分の将来を考える方が強いのか。
ちなみにみなさま、ソチの女子フィギュアスケートで金メダルだったのはいったい誰だったか覚えておられますでしょうか? あの「浅田真央奇跡の4分間」の陰で日本ではあまり記憶に残らなかったのですが、ロシアのソトニコワだったのです。 大会前は赤いコートで演技をしたリプニツカヤの陰に隠れて誰も気にも止めなかったのですが(だって似たようなロシアの選手が山程いて、それも僅差 なものだから、ロシア代表になるだけで大変。僅差は日本も同じだけど、争っているレベルが残念ながら異次元)、金メダルに輝いた 後も故障続きで出てこられません。リプニツカヤに至っては、摂食障害のため19歳で引退です。前回喝采を浴びた二人の10代の選手の 4年後は、当時想像もつかなかったことです。

そういう意味では真央ちゃんってすごいと思う。あの細い体型を20代半ば過ぎまで維持し、怪我とつきあいながらストイックに競技人生を続けていた ことは手放しでエライ。競技以外のところで聞きたくない雑音もあっただろうし、嫌な出来事も多かったと思います。 肉体的にも、精神的にも強い人なんだなぁと思います。

ロシアのふたりが4年間、怪我もせず精神的にもタフだったとしても、新しいジャッジの傾向を会得しながら軽くジャンプが飛べる年代の少女たちが 北京オリンピックにやってくるのでしょう。それを知っているからクールな記者会見になるのでは?と思ったりしています。

4年後なんて誰もわからない。ただし、私はソチと平昌の間はそれほど動きがありませんでしたが(あっという間に過ぎてしまった) 平昌と北京の間では大きな動きがある予定ですので、今とは絶対に変わっています。病気も怪我もないようにしたいですが、 こればかりは神のみぞ知る。

4年後、みなさまがどこで何をしているか、どうなっていたいか、オリンピックのたびに考え直すのもよい機会かと思います。

フィギュア団体ショートのオズモンド選手の点数、おかしくね?とか、フリーの点数おかしくね?とか、アメリカは3人出たけど 9、10、11位ってダンゴ。この次は3枠がんばってねとか、アメリカのゴールド選手はストレスで激太りしててオリンピックは無理だったとか、 ロシアは選手強化よりもまず、ドーピングをやめることが先決でしょとか話題はつきないけど、とりあえずはこれにて終了。

元文科省事務次官の前川さんが名古屋の中学校から講演を依頼されたことで、文科省が中学校へその目的や「出会い系バー」に 出入りしていた人を呼ぶことについて、保護者や生徒から意見はなかったのかとか、テープがあれば提供しろとかかなりグロい 内容のようで、「うわっ、改竄もすごいけど、こっちもすごい。こうやって『ほかの文科省管轄の所は前川を呼ぶなよ』と見せしめに してるってことでしょう?なんだかきな臭いよね、日本。

■ 2018.3.11【オリンピックが終わって その2】

今日は東日本大震災が起こってから7年めの日ですね。今回のオリンピックで連覇をした羽生結弦選手が震災の後リンクが無くなってしまい、あちこち点々と試合をしていて、試合が練習だったという記事を読んだ ものです。エンピツのように細い少年は、フリーが終わるといつもリンクに倒れ込んでしまい、体力がない子だなぁと 思っていましたが、今ではそのようなことがあったことなど、微塵も感じさせない力強いチャンピオンになりました。いつも被害のことを を忘れない姿に、被災地の方は勇気づけられるだろうし、彼が滑るたびに世界のメディアは「彼は大震災の被災者だと」言ってくれるので、 大きなスポークスマンになります。彼もそれを意識しているだろうと思います。

さて、3月9日(金)に、新潟県よりお招きを受けて新潟県庁でお話をさせていただきました。まだ3月だから、きっと雪が あるだろうとブーツを用意しておいて、前日に新潟市のライブカメラを見たら「雪がない!」あわてて普通の靴に変更しました。 沿岸部では3月には雪が溶ているのですね。

さて、新潟市といえばオリンピック前、フィギュアスケートロシア団がここで練習していたと報じられました。ソウル行きの 定期便があり、飛行時間も短く、姉妹都市もあるということだそうです。時間があったら、同じリンクで滑ってみたかったわ。

フィギュア女子は予想通りロシアがワンツーをとりましたが、こんなにフィギュアが強くなったのは、バンクーバーの後でした。 トリノではスルツカヤがメダル争いに絡みましたが、その後はトンとお国名が出ず、世界大会ではいつもレオノワ選手が元気 いっぱいの演技をするのみというものでした。ソチを睨んで国が強化してきた少女たちが、ものすごい勢いで出てきたときには 「所詮お金の力ですか」と思ったものです。もともとソビエト連邦ってそういう国でしたから。>>>続く

■ 2018.3.4【オリンピックが終わって】

平昌オリンピックが終わり、「オリンピックロス」でもないですが、なんだか急にもの寂しくなってしまいました。 特に後半は「今日は何を見ようか」と普段は見ないテレビ欄を隅から隅まで見ていましたから、私の熱の入れ方が ご想像いただけると思います。

今回、オリンピックに関して持っていた私の長年の夢がひとつ叶いました。それはフィギュアスケートのオリンピック代表選考会である全日本選手権の観戦に行けたことです。 オリンピックに種目のあるスポーツの選手はほとんど全部オリンピックを目指しますから、その代表選考会は4年に1度の緊張と歓声に包まれるはずです。

東京に転居したばかりのバンクーバーの時は就活でそれどころではなく、ソチは気づいた時にはチケットの抽選が終わっていて、それは今回も同様だったのですが、今回は開催場所が武蔵野の森総合スポーツプラザというところ。ここは東京オリンピックのために新設された施設で、2年後には歓声でわきあがる予定の場所。11月に完成したと新聞に載っていて、ちょっと行ってみたい場所だったのです。

だがしかし、チケットはすでに抽選が終わっていて今回も無理、のはずだったのですが、ショートプログラムの当日、大幅値引きされたチケットがネットの「行けなくなったので譲ります」のところにのっかっていたので、すかさずゲット。見に行ってまいりました。 こうやって願いがひとつひとつ叶っていくのは充足感がありますが、願いって、叶う時はドラマチックでもなく、あっさりと叶ってしまうものなのですね(( ´Д`)=3)

開催前はスポーツの場が政治の取引をされている感があり、そのせいか今一つ盛り上がりに欠けるオリンピックで、開会式は「寒すぎる」「今晩はマイナス何度になるのか」「欧米のテレビ局優先のタイムスケジュール」とネガティブな情報ばかりが飛び交っていました。 最初の競技のジャンプも23時をまわり、選手が毛布を巻いて風が治まるのを待っている光景がテレビに写っているのを見て、「どこに23時の極寒屋外でやらせる人がいる!」「新聞に投書してやろうか!」と思いましたが、後に「夜の方が風や雪がなく、コンディションがよいのだ」「ジャンプは夜行うのが普通」と知り、「へぇ〜、そうなんだ」と矛先を納めた次第。>>>続く

■ 2018.2.7【母と娘はやっぱり難しい】

私が「母を棄ててもいいですか」という本を出したせいだと思うのですが、私が母を棄てて一切没交渉になっているとお思いになっている方が 多いようですが、ここで改めて申し上げます。私は母を棄てても、放りだしてはいません(笑)。電話は月1回、30秒まで、過剰に優しい 言葉はかけない。事務連絡のみ。愚痴は聞かないを実行しております。

今年のお正月もきちんと実家へ帰り、娘としての 義務を全うしてきました。ただ昨年、スケジュールの関係で3泊したところ、母も私も極限状態に達しましたので、今後の方針として「2泊以上はしない」 と心に決めました。というわけで今年は2泊です。そして日中は友人と会っていますので、母と接するのは朝と夜だけです。 それだけならば、延々と何度も同じ自慢話をする母親に「そうなんだぁ」「すごいねぇ」と条件反射で決まった定型句を口にすることはできます。しかし、 一定の距離は縮めない。なぜならほんのちょっと気を許すと母は無理くりそこをこじ開けてこちらに乗り込んでくるからです。 母の望みはひとつ。「心細いので自分と一緒に暮らしてほしい」です。

やなこった。ぜってー無理。だって3泊もたないんだもん。

相手を自分の支配下に置こうと画策する人と一緒に住むなんて(ヾノ・∀・`)ムリムリ。

昔、私の家の居間にカボチャとナスと何かの野菜が書いてあって、「仲良き事は美しき哉」と書いた色紙が額に入って 飾られていました。この母の考えそうなことです。子は親に従い、敬うのだということを心から信じている母。 それをしない子どもは人に非ずと信じて疑わない母。

子もひとりの人間で、あなたより大事なものがあり、自由に考えて行動する権利があることを、あなたのあと残り少ない人生の 中で理解できるといいね。(わかったふりしてもダメダメ。長いつきあいだから、顔を見ればわかっちゃうからねー)

ただいま炎上中の「あたしおかあさんだから」

犠牲的被害者母は子どもが大きくなってから、ひとり取り残される。


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