■ モラ教員との結婚 〜by 夏海〜■

私は2年前に結婚したのですが、婚姻生活は初っ端から不幸の毎日でした。
同居当日から「飲みに行く」と言って、その日は帰らず 終電がないからと実家の親に迎えに来てもらい、そのまま実家泊まり。 それが、1ヶ月に何度も続き相手の親への疑問を持ち始め、我慢の限界が来たため、結婚した自覚とケジメをつけるように指摘した後から、夫の態度は本性を現し始めました。

それから、毎日無視が始まり、金使いも荒く当初5万もの小遣いをあげていましたが、それは全部飲み代の分だと怒鳴りちらし、携帯代・食代・洋服代・遊びに行く交通費を脅しのような口調で、請求してくるようになりました。 当時、妊娠していて悪阻も酷く寝込んでいたことが多かったため、申し訳なさから出していましたが、夫の方が、子供がほしいと作ったのに、体を気遣うところか遊びほうけてばかり、食事も自分のだけ食べ、食器は放置したまま。
共働きだったし、家事の手伝いを頼んでも「妊娠してるからって出来ないわけない」と何もしてくれず、 遊びすぎを指摘すると「お前だって飲みに行ったり、スキーに行ったりすればいいじゃないか」と言われ タバコを外で吸うように言うと「言われると腹がたつから、もっと吸ってやる」と言われました。

段々、恐ろしくなってきて、彼が帰ってくる足音を聞いただけで、震えが止まらなくなってきました。 妊娠8ヶ月頃には、家に帰るのも恐ろしく、バス停から5分ともかからない場所なのに、何度も足が止まり1時間以上もかけて帰っていました。 そのうち、帰らなきゃと思うと涙が止まらなくなっていました。

実家には、心配かけたくないと相談することも出来ず、産休1ヶ月前くらいには、うつ病になっていました。 そんな私の様子を察してくれたのか、当時の産婦人科の主治医が「今のままでは子供が危険な状態になる可能性があるから家を離れなさい」と言われ、仕事もあり、実家に戻る事にしました。 決して親には言わないつもりだったのですが、私の様子から色々、聞いてきた親に嘘はつけなく、たまりかね一部始終を話したところ、 子供が生まれるまで様子を見ようと言うことになりました。 子供が生まれた後の彼は良くなるどころか悪くなる一方で、とうとう両親にも本性を現し始めました。 その後、両親も離婚を勧めてくれたのですが、一筋縄ではいかず、結局裁判まで行きました。

子供が生まれてから8ヶ月も見にすら来てないのに「自分の親(祖母)が育てるから、子供を引き取りたい」などと頭のおかしい事を言い親権を主張していましたが、そんな理由で親権など取れるわけもなく、 養育費も手数料を払いたくないとダダをこね続けていましたが、法律に勝てなかったみたいです。 面接交渉を主張していましたが、別れてからも攻撃的な態度は変わらず、子供に悪影響な為、未だに会わせていません。 あそこまで、最低な人間だと別れた事を心から良かったと感じますし、子供に対しても罪悪感を持たずにいられそうです。

後から知った事ですが、子供に対しても虐待する可能性が極めて高い人物なようです。 それでも彼は、小学校の教師をしています。 調停員も弁護士も裁判官も教師失格だと言っていました。

その後、子供の保険証などの手続きを3ヶ月も放置したので、教育委員会に連絡し、協力してもらえる事になって今は安心な日々を送っています。 彼は、これから赤点を背負ったまま、教師をすることでしょう。

私も離婚成立までには、苦労をしました。
離婚をする前に弁護士に相談した所、一度は話し合いをしなければいけないと言われ、あんな男じゃ話し合いをもてないと解りつつも、会って離婚の事を言うことにしました。 話し合い当日は、離婚の理由をまとめ紙に書いていき、離婚届も用意して行きましたが、何を言っても「言ってることが解らない」と話を聞く態度もなく、親権に関しても、まだ0歳の子供に対して「教育方針がないなら親権は譲らない」養育費の事も「明細がないと払わない」などと言い、 明細を出せば、それだけ払うのかと聞くと、「そんなの払うか解らないけどね」と言い出す始末。 その後、すぐに調停を起こすことにしました。 モラ男は外面がよく、もう1度話し合いたいなど言って、会う口実を作りました。

私は、反省して謝ってくるのかと思いましたが、1時間会って、その間ずっと無言・・・呆れてしまいました。 調停は、半年続きその間調停委員も訳のわからない言動と、コロコロ変わる話に振り回されっぱなしで、あげくの果てには「自分の親が育てるって言うから親権は、こっちで取ります」なんて、頭のおかしいことを言っていたそうです。 その時に気づいた事は、親子そろって頭がいかれてるのだと思いました。

その後、また弁護士に相談し、裁判を起こすことにしました。 その時に、役に立ったのが婚姻中の日記でした。たまたま書いていたことなのですが、婚姻中どんな酷い事を言われ、無視をされていた期間、金遣いのあらさ、家を省みない勝手な行動などを詳しく書いていたので、裁判ではあっさり離婚も親権も 養育費もこっちの思い通りになりました。 面接交渉の内容に「月一月末・2時間」など書かれていましたが、裁判官のはからいで、認められず「子の福祉を最優先した話し合いで面会場所・日時を決める」ということになりました。 もちろん、私は会わす気などないので、連絡先を自宅(実家)にし、携帯も繋がらないようにしました。

1回目の面接は、裁判所で決めることになりましたが、その当日 滅多に熱など出さなかった子が40度も熱を出し、面接はなくなりました。 午後になり熱はすっかり冷め、次の日には昨日の熱は何だったの?くらい元気になり 子供の会いたくなかったのだろうと思ってしまいました。 その後、電話で話し合うという約束だったのに手紙を送りつけ、一方的に日にちを決める始末。

いまだ身勝手な行動なんて許すわけもなく、親が代わりに行き、私の手紙を渡すことになったのですが、受け取りもせず、話も聞かず「手紙を読んでほしいなら内容証明で送れ」「あの人(たぶん私)は来なくて良い子供さえくればいいんだ」 「これからは、弁護士を通じてしますから」と言い放ったそうです。 話し合いをもとうとしない人間だと知っているから手紙を書いたことだし、連れて来る人(身内は駄目だそうだ)がいなければ会える訳もなく、話し合いを持つ努力もしていない者に弁護士が付くわけもなく、2が月経った今も会えず、連絡もないです。 彼の一番のおかしいと感じたのは、調停中にもかかわらず、「子供をいつ家の実家に連れて来てくれるの?親も会いたがってるんだけど」と言っていた事です。 せっかく、小学校で働いてるんだから、教壇ではなく、席でお勉強し直した方が良いのではと思います。

養育費は、払わなかった時は必ず差し押さえると、弁護士に言ってもらいました。いつまで続くかわからないですが、それが私と子供への償いだと思って私は容赦なく差し押さえるつもりです。 今は、彼の被害者が2人と出ないことを祈っています。